66(rokuroku)展XV

2017.06.06(tue)〜12(mon)
日本近代化の中で大阪築港、御堂筋、芦屋・六麓荘の開発、その他多くの公共事業に携わってきた「細野組」の元本社である「細野ビルヂング」。築後66年にちなんで始まった、アーティスト66名による「66(ろくろく)展」も今年で15回目を迎える事になりました。
今年も、近代の名建築とアーティストたちの作品の融合をお楽しみください。

大阪市交通局のフリーマガジン「ノッテオリテ 2011 vol.11

ノッテオリテ2011vol11表紙

大阪市交通局のフリーマガジン「ノッテオリテ 2011 vol.11」は細野ビルヂング特集です。

2011年1月25日より地下鉄主要駅に置かれています。ぜひご覧ください。

普段は公開されていない社長室が見開きページでご覧いただけます。

下の3枚の写真はクリックすると拡大表示されます。


細野ビルヂングは1936年竣工の歴史あるビル

地下鉄「西長堀」駅をあがると、すぐ目に飛び込んでくる3階建のビルが細野ビルヂングです。戦災や高度経済成長時代を経て、周囲は新しいビルに変わってしまいましたが、ぽつねんと残る時代を感じさせるレトロなビルです。1936年の竣工ですが、その当時は明治以来続いてきた様式建築の華やかな意匠から、モダニズムの機能主義的な表現に移行した時代を反映しています。

当ビルは「細野組」の本社屋として建てられました。「細野組」は名だたる橋梁、トンネル、御堂筋などの道路の工事に携わっていました。盛期には多くの社員や顧客がこのビルに出入りしていたことでしょう。しかし、戦後しばらくすると、その本社屋もテナント・ビルとなっていました。

オーナーによる孤軍奮闘の改修工事

1階のテナントが撤退したのを機に、オーナーの細野房雄氏がビルに積極的にかかわりを持つようになりました。最初は建て替えを考えていたそうですが、ビルそのものの持つ存在感に細野氏が圧倒されてしまったのです。

ここから細野氏の孤軍奮闘の改修工事が始まりました。暇をみては、自らはがれた天井を塗り直し、少しずつ当初の状態に戻していきました。その作業をつづける中で、細野氏はここをアートの情報発信基地にする構想を膨らませます。

アートの情報発信は「66展」から始まった

2003年6月6日午後6時6分6秒に第1回の「66(ろくろく)展」がスタートしました。一風変わったこのネーミングですが、芦屋の高級住宅地として知られる「六麓荘」に由来します。細野ビルヂングを建てたのは、細野房雄氏の祖父にあたる細野濱吉氏ですが、「六麓荘」の宅地造成を行って開発した人物です。

オープニングのイヴェントには、近所の人々や作家の友人、知人など、たくさんの人が訪れました。その後もアートの情報発信は続いています。

建築ジャーナル 2007年5月号に掲載されました

企業組合建築ジャーナル 発行『建築ジャーナル』2007年5月号(写真左が表紙)に細野房雄さんのインタビューが掲載されています(写真右が記事)。細野ビルヂング内で撮影された細野さんの写真付です。タイトルは「自責の念でレトロビルを修復中 気づけば文化発信源に」。

2006年は2冊の本で細野ビルヂングが紹介されました

橋爪紳也著「都市再生フィールドノート 大阪のひきだし」(鹿島出版会06年7月発行)に細野ビルヂングが紹介されています。

栗本智代著「大阪まちブランド探訪」(創元社06年3月発行)に細野ビルヂングが紹介されています。